旧伊勢本街道を歩く

7. 明和~伊勢(完)


2017年12月28日から翌年2日にかけて、伊勢本街道を大阪から伊勢まで歩いた記録。

2018年1月2日朝。早朝だったと思うがスマホもスント(時計)もバッテリー切れで時間分からず。交通量が多いのでジェットボイルでラーメンの余裕もなくそのままそそくさとバス停を出発した。まだ暗かった。県道37は歩道がなかったり狭い箇所も多く、時々道を外れてやや遠回りをしながら歩いた。行き止まりになり引き返しもした。歩き続けるうち進行方向ほぼ真向かいから朝日が昇り始めた。初めのうちは目を細める程度だったが、少し高く上るとあまりにまぶしく目がいたくなった。伊勢神宮に続く県道の真正面から光が差し、アスファルトがその光を同じくらい明るく反射していた。目の前の景色がずっと金色だった。あんなにまぶしい朝日は生まれて初めて見た。

予約していたルートインには午前中早々に到着した。チェックインできるまでにまだ時間があるといわれ、中国人客がごった返すロビーでしばらく待った。予定よりも大分早く着いてしまったので今日の予定が空っぽだった。このまま外宮と内宮を周って初詣を済ますか、それにしてもちゃんと風呂に入って身なりを整えて行きたいと思っていた。だがまだ歩き足りず、今日一日フリーにして観光に勤しむつもりもなかった。参拝までに気を緩めたくなかったのだ。チェックインの時間を待つことなく、フロントに荷物を預けて、着替えもしないまま初詣に出発した。今年は別宮も周りたいと思っていたことと、約20年前に初めて訪れた時の記憶をたどりたかった。

伊勢神宮に最初に訪れたのは20も間近の19の時、千葉から沖縄まで自転車で日本横断とか息巻いていたころのことである。紀伊半島の海沿いを走ろうとする途中で偶然通りかかった。観光案内所があったのでそこに入り、そこでボランティアのガイドをしていた御老人に出会った。名を野呂さんと言った。彼に案内されて始めて参ったのが外宮だった。当時は内宮の存在を知らなかったし、伊勢神宮自体認識していたかどうかさえ記憶にない。君が代のさざれ石のお話をされていたと記憶している。恐らくは本宮に最初に参り、そして次に参った場所が思い出せなかった。野呂さんは足が悪く、終始脚を引いて歩いていた。最後にそこで祈願した内容も忘れてしまったが、彼は足が悪く階段を登れないので、丘の下から上の森に向かって手を合わせた。本宮では祈願をせず、そこでだけすることを許された。それがどこだったかを知りたかった。去年以前に空間の記憶を辿るも思い当たらず、先のヒントをもとに記憶を辿ってみた結果、やはりあれは多賀宮だったと結論した。帰りに観光案内所に寄ると、当時野呂さんがいたカウンターがまだあり、そこには別の女性が座っていた。

お話をすると、カウンターの女性職員もガイドの女性も、野呂さんを知っていた。今彼がどこで何をしているかは聞かなかった。20年前ですでに80を結構すぎていたはずだ。10何年も経って伊勢神宮を毎年参るようになったのは野呂さんのおかげである。

念願だった多賀宮、土宮、風宮、月夜見宮を周った。本宮のあとに中くらいの神宮大麻と、多賀宮の神札も初めて買ってみた。去年まではでかければでかいほどいいと思って一番でかい大角祓にしていたが(あるある)、今年は部屋に収まる三戸の神棚にあうサイズにした。継いで内宮に参った。内宮の別宮は各地に離れているらしく、周辺にあるものだけ参った。荒祭宮、風日祈宮、月読宮だったと思う。内宮でも大麻と荒祭宮の神札を買った。近場だったが合計で20キロ少々は歩いたので、ほどよく疲れていた。宇治橋を囲む二人の鳥居を出たときはようやく安心できた。これで今回の歩き旅の目的は果たした。そのままどこにも立ち寄らずホテルに引き返した。明日の予定を繰り上げてしまったので、明日することがなくなったことに気がついた。(了)