旧伊勢本街道を歩く

6. 美杉~明和


2017年12月28日から翌年2日にかけて、伊勢本街道を大阪から伊勢まで歩いた記録。

2018年1月1日朝。ジェットボイルでラーメン。道の駅の自販で缶コーヒー。日の出前に出発。最初に高い山のてっぺんのほうから太陽に照らされていった。下までは中々当たらなかった。暗いときはわからなかったが今日はいい天気のようだった。国道の北側を通る古道に戻り川沿いを歩く。丁度国道を横切るあたりで初めて日の出を見た。光が顔に当たったときは喜んだ。

10キロ歩くと最初のピークが来て休む。再出発して20キロあたりでヘトヘトになり、最後のひと踏ん張りで5,6キロ歩く。大休憩を挟んでインターバル二回。日が暮れるまでに寝床を確保する。そうして行程を歩いてきたが、この日は三回目をやむなく歩くことになる。。

美杉の道の駅を出発して東に3,4キロ歩くと、再び山中に戻り、国道は幅も狭くなった。人が住んでいるのかどうか分からない廃れた集落を過ぎると、仁柿峠に続く曲がりくねった新道(と言っても古い)に差し掛かる。この時に右下の山道へ抜けるのが本街道だった。山道の入り口には地元の小学生が手作りしてくれたらしい杖が何本か用意されていた。樹齢の似通った杉の森をジグザグに下りるとやがて飯南町上仁柿の集落に入る。少し歩いたところで軽のパトカーとすれ違った。空き地に簡易のトイレがあったので用を足した。本街道はこれ以降しばらくは渓谷の川沿いを並走する。昔の商店らしい民家のショーウィンドウでまた骨董ポスターを見た。今度は知っている顔だった。

仁柿の中心に近づくと初めて人とすれ違った。最初はランニング中の小学生の兄弟だった。元気よく挨拶していった。あとから父親らしき人が大分遅れて走ってきた。それ以外は人という人に出会わなかったが、仁柿小学校の校舎横に差し掛かると話し声が聞こえてきた。最初に休校の案内が目に入った。行程の入り口にマラソンの催しらしい横断幕が見えた。10人ほど見た。皆ニコニコしていた。もちつきでもしていたか。それにしても新しい立派な校舎だった。街道を挟む家々はほとんどがどれも軒先に正月飾りを垂らしていた。が少し道を下ったおそらくは下仁柿の集落の一部だけは不思議とほとんど飾りをつけていなかった。

下仁柿の谷間が大分ひらけてくると、かなり大きな藁のオブジェが目に入った。5,6メートルあり、フクロウである。わらアートとかいうのを聞いたことがあるがそれだろうか。櫛田川沿いを走る166号が近づくと、初詣に忙しいたぶん神職が目に入った。柿野神社だった。旅人の道中安全と祈願しているらしい。年末まではいくらも参ったが年を挟むと初詣へのこだわりが捨てきれず、ここは素通りした。そして榛原以来最初となるコンビニがあった。この田舎の外れのローソンに入ると思いの他たくさんの人がいた。どうみても観光客の余所行きの服を着ているカップル連れや多少ガラの悪い連中もいた。山から下りてきたのだとこのとき思った。

連れの女の一人がおかげ横丁がどうと言っていたので、彼らも伊勢神宮へ行くのだと察した。やはり1日にこだわるらしい。ここで昼食にパスタを食した。

166号沿いの櫛田川は非常に美しかった。大石町当たりから茶畑をちらほら見るようになった。どんどん街中になっていくと同時に伊勢本街道もどんどん分かりづらくなっていく。結局本街道を通ったのかどうか確かではなかった。大石周辺は166に並走する端道もないことがあり、やむなく歩道すらない車道を歩いた。予定ではこのあと街道の少し外れにあるゆとりの丘という公園に行き、野宿しようと思っていた。

だがどういうわけか計画を裏返してそのまま本街道を歩き続けた。予定外のことをやってサイコロに運命をゆだねるのが好きである。だが大概負ける。児童養護施設前を通り過ぎるころには夕暮れだった。寝床は歩きながら探すしかないが、街中で見つかることはほとんどない。いつもはとうに歩き終わっている時間のため疲れきっていた。津田保育園ちかくのバス停の椅子でしばらくたたずんだ。1時間経っても立ちがる気力がなく、2時間以上たってようやく覚悟を決めた。また歩く、この旅初めてのインターバル3度目だった。東の向こうに満月が見えた。

気温が上がって辛うじて生きながらえていたiPhoneのバッテリーもやはり切れてしまった。GPSを確認するすべもなく、ヘッドライトを点灯して歩いた。寝床を探しつつ歩いていた。川沿いに野宿できるような公園があるか期待したが、いつまでたっても見つからなかった。歩く方向は月を手がかりにした。たぶんこの時期月は南東からあがる。月の方向に伊勢神宮がある、はず。

道をまっすぐ、気持ち南東に歩き続けるうちJR参宮線の多気駅に着いた。道が左右に分かれ、まっすぐ進めない。駅員に道を聞くもはっきりしない。参宮線は多気駅から南に向かって東と西の二つに路線が分かれる。その東の線路沿いに行けば伊勢神宮にたどりつける。その理解で間違いないか聞いた。「ええ、そうですけど、でも」とまたはっきりしない。後々調べると多気駅から内宮までは22キロほどあった。今日中につけるとは思わないまでも、既に思考は停止していた。ただただ歩くことしか頭にあらず。疲れれば休憩してまた歩く。ただ道は分からない。-町中に下りてきたといっても、まだ先日の飯坂峠の余韻を忘れておらず、暗い山道は出来る限り避けたかった。あそこらへんの人里は夜はとても暗く、地図も分からないので下手な道に反れると山道に迷い込むかもしれないと心配した。後々Googleで地図を確認するとどの方向へ行っても山という山はないのだが、それにしても臆病であった。本街道などほとんど忘れ、迷い込んだのは明和町役場環境センターに続く車道だった。(下へ続く)

多気駅を南下し、すぐある東西の分岐を左に曲がると、予期せず伊勢本街道の道標をみかけた。薄暗い森の向こうに続いていた。バッテリー切れでGPSは使えず、行き先に何があるのか確認できなかった。常に寝床を探していたが、山中でテントを張る元気は残っておらず、下敷きと寝袋で安全に寝られるような場所があればどこでも良かった。流石に今から峠越えは避けたかった。後々調べると峠という峠はなかったのだが。道標のすぐ右のぽつぽつ街灯が続く森のトンネルを抜けると小さな集落があり、そこを過ぎるとすぐに森を切り開いた畑に出た。ヘッドライトを肌身離さなかったが、空を見ると満月が思いの他明るかった。もしやとヘッドライトを消すと、月明かりだけで十分明るかった。この夜は月明かりに助けられた。道を照らして方向まで教えてくれるのだからその存在は大きい。ヘッドライトをしまいこんで夜の道を歩いた。後ろに自分の影が出来るくらいだった。

予定していたルートを無視し、サイコロに運命を任せて歩き始めたが、月明かりに助けられた頃にはすでにその賭けに負けたことに気がついていた。いつもは20数キロで落ち着く行程がこの日は当てもなく約倍を歩いた。思考は停止しており、体力は残っておらず、精神的に裏返って、なぜか見るものほとんどすべてに怖気づいた。深い森の中を(少なくとも当時はそう見えた)環境センターに続く真新しい道はそのアンバランスがとても奇妙だった。途中ソーラーパネルらしい丘は墓場に見えた。墓場は無数の電気の玉で装飾されており、何を意図しているのか理解できなかった。不意に辿り着いた整備された公園(ここが環境センターだった)にはトイレがあり、広場中央に東屋があった。向こうの建物には灯りがついており、少し登ったところには点滅する電灯と鉄柵らしいものが見えた。寝るには絶好の場所だったはずだが、奇妙だった。街灯の下には監視カメラが見えた。

山の中の誰もいない公園を監視する理由が知れない。すぐそこにトイレがあったが入ってはいけないような気がした。

結局落ち着かず、10分ほど休憩してまた出発した。山を抜けて田園地帯に下り、県道37号に突き当たった。左に葬儀屋と右に動物病院(吉武獣医科)が見えた。外宮のかなり北西に出ていた。月の方向を頼りに右折し、途中閉まりかけのお好み焼きやでラストオーダーで豚玉を頼んだ。店主に外宮までの距離を聞き、まだ10キロほどあると言われた。とてもではないが疲れて歩けないので、どうにか県道沿いで寝床が見つかることを願った。最終的には屋根のあったバス停のベンチで4,5時間眠った。車の往来が多くうるさかった。予定では明日2日の夕方にルートインに着き、3日に伊勢神宮に参るつもりだったが、明日朝にはホテルに着きそうだった。(了)