旧伊勢本街道を歩く

4. 榛原~曽爾


2017年12月28日から翌年2日にかけて、伊勢本街道を大阪から伊勢まで歩いた記録。

伊勢本街道4日目、出発地は榛原で目的地は曽爾。実は本街道からそれている。反れた理由はここいらで温泉(風呂)に入りたかったため。榛原から似たような距離にすくなくとも二つの温泉があり、ひとつは本街道沿い近くの道の駅にある姫石の湯、あともう一つは曽爾高原にある温泉。御杖のほうが榛原から遠かったので、着いてから閉館まで時間にゆとりのありそうな曽爾高原に進路を取った。榛原から先はより人里を離れ自然に近づいていく。見たかった景色がそこにはあった。行程初め、榛原を出てすぐに弘法大師の湧き水の汲所があったのだが、昨夜コンビニで補充した大山のおいしい水と捨てる気になれず、素通りした。

弘法大師が彫ったといわれる石と、観光トイレのある場所より先、宇陀の山道に入ってから少し迷った。旅程4日目とあれば多少の度胸はついており、道がなくともここに違いないとあてずっぽうに進み続けた挙句、小半時間ほど歩き続けてこれはやばいと初めて思った。迷ったときは来た道を戻るのが易い。先ほど挨拶をした社にまた顔を合わせた。来た道を戻って帰れなければ私も神隠しにあったことになる。幸い急な雑木林の向うの下のほうから車の走る音が聞こえてきた。音のするほうに木々を伝って降りていった。道路で伊勢まで歩いて初詣に行くという団体客御一行に出くわした。足の悪い人もいたりして、お互いに助け合いつつ伊勢を目指していた。

道中御一行の何名かが私に興味を示し、どこから来たのかやらどこへ行くのかやら聞いてきた。大阪から、行き先は同じであると答えた。先頭のガイドが伊勢に歩いていきますよという旗を大々的に翻しているのですぐに分かる。彼らは1月1日の初詣にこだわりがあるらしく、1月3日に予定していた私とは違った。1日を避けるのは単に混雑が嫌なだけである。唯一問題があるとすれば3日までに他の神社に参ってしまうと初詣でなくなってしまう危険のあることで、それは心配だった。古道を歩く場合、必ず神社や寺に行き着くことになる。年が暮れるまでは可能な限り多くに参ったが、年が明けて以降はこの心配のためなくなく多くの神社や寺を通り過ぎた。

榛原高井の元郵便局の建物はとても気に入った。幼少を過ごしたとある施設の旧館を青く塗った感じの建築だった。あれはもともと茶焦げた色をしている。そのすぐ横に新しいのがあったが、今でもあれを使えばよいのにと思った。使わなければいずれ壊すしかなくなる。

榛原高井の、この道標がどちらを差しているのか小一時間問いただしたくなる交差点を左折し、さらに右に曲がると、この旅で最も見たかったものの一つである高井の千本杉に辿り着く。これについて多くを語るよりは一見にしかず。巨木、延いては御神木に興味のある方は是非見に行かれたし。これをいままで残してきた人々の心に感謝するしかない。

千本杉を超えた辺りから、本街道沿いの風景は日本昔話になっていった。農村のかやぶき屋根の母屋を今日に至っても大きく形を変えずに残していることもちらほら(屋根はトタンや瓦に変わっていたが、茅葺もいくらかあった)。刈り取られたミルクコーヒー色の田んぼが一面広がっており、どの面も全部使われている。中でも家々のりっぱな佇まいに目を奪われたのは諸木野か。昔大きな宿がいくつもあったという。この中の一つでもいま営業してくれていれば泊まるのにと思ったのは私だけではないはず。とかく榛原以降いくつかの集落を通り過ぎるにも金を使う場所すらなく、あるとすれば社の賽銭箱くらいである。

 

諸木野を過ぎると石割峠である。そこへ行く前に集落はずれに設けられた東屋で30分ほど休憩した。集落に金を落とす場所はなかったが、はずれには旅人用に休憩できる東屋がある。石割峠は「本街道最初の難所」と案内板に書かれてあった。本街道沿いには幾つかの峠があり、ここが最初と書いているのはたぶん榛原から数えているからだと思うが、大阪から来た人にとっては暗峠以降二番目である。どちらがきついかというとおそらく暗峠のほうがきついと思う。伊勢詣での団体客に時折道を譲られながら峠を越えた。道が狭いため、譲られると早歩きするして追い越すしかない。あまり体力に自信があるとは言えないのだが。

曽爾に行きたかったので、そろそろ本街道を外れてもいいころだったが、そのタイミングで図らずも道に迷った。本街道は分かりづらい。田んぼを囲んだあぜ道を大きく迂回して、室生黒岩という集落に入ってからGoogleマップを確認した。よれば、屏風岩と呼ばれる名勝の近くを通る農免道があり、それを東に歩くと都合よく曽爾に着くようだった。

人一人いる気配すらない集落の小阪を歩いていると、前から軽トラがゆらりと走ってきて、私の手前で停車した。青い空を反射するフロントガラスの向うに爺さんが話しかけたそうにこちらを見ていた。本街道をそれているため、親切に教えてくれようとしているのだろうと察した。「伊勢本街道?」「いえ、曽爾に行きます。この道行ったらいけますよね」「農免道は土砂崩れで通れんよ」。。

山道を歩いていれば必ずといっていいほど土砂崩れを目にする。山道でなくとも国道以外の田舎道では崩れても即座に修復されないこともあるらしい。犯人は一ヶ月ほど前の大雨+台風だろうと察した。大阪でも10日ほど雨が降り続き、その直後にとどめの台風が来た。2日後に金剛山に登るといたるところ崩れていた。葛城山も御所方面から登る二つの主要な登山道が土砂崩れで通れなかった。回り道はあるかと聞くと、本街道に戻るしかないと言われ、そうなると曽爾の温泉に時間通りにいけない。大変困った。土砂崩れでも通れないものか。山道の本当にひどいのは通れないものの、大体は崩れた上を歩いて通れることが多い。しかも雨が上がって何日も立っていればさらに崩れる危険も少ない。

どうしてもどうしても通れませんかと、言うことを聞かない若造よろしく老人を困らせていると、静かに考えをめぐらせ、静かに語ってくれた。「崩れているところを下まで降りて、、また上がれば行けない事もない、かもしれない」。道を誤っているのではないかと声をかけてくれるのも、行き先が崩れていて通れないと教えてくれるのも、それでも言うことを聞かず進みたいとする若造に進み方を諭してくれるのも、ただの親切の一言では足りない。別れ際に「気をつけて」と送ってくれた。

黒岩の小阪を登りきって右に曲がるところに、奥まって森の向うに神社があるらしかったが、今回は参らなかった。社のあるであろう方向に軽く頭を下げた。頭を下げてすぐに「通行止め」の板が道を塞いでいた。通れることを祈って通り過ぎた。問題の地点までは左右緩やかな傾斜の杉林が続いていた。もし切り立った崖なら土砂崩れで道ごとなくなっている可能性はあった。が幸い、農免道を崩れた土砂が覆っている程度で、規模は中程度だった。土砂の上を歩いて渡った。山道と違い、車道においては、自然災害により通行止になっていても人間は歩いて通れることがあるようだった。

屏風岩は下のトイレのある駐車場で休憩しただけで、一部しか岩肌は見なかった。曽爾周辺にはいくつか公共トイレがあったものの、凍結防止のため冬季閉鎖していたのは残念だった。水洗トイレの功罪ともいえる。曽爾高原のキャンプ場のトイレは新設の水洗便所はしまっていたし、併設の古いほうのぼっとん便所は開いていた。

年の暮れ、12月30日の午後、曽爾の集落に入ったのは15時ごろだった。曽爾高原の近くにある温泉施設まではあともう少しあった。ホームページによれば今日も開いており、夜の21時まで営業してしている。曽爾の集落では個人経営らしいコンビニが一店開いていた。入店してみたものの特に用立てがあったわけでもなく手ぶらで出た。

 

 

 

低温に弱いiPhoneは使い物にならなくなっていた。3日ほど充電していないモバイルバッテリーも底を尽きかけていた。電圧が弱いらしく、iPhoneを常時接続していても給電してくれない。地図が見れなくなったので、道路標識を見ながら歩いた。川沿いの古い道が通行止めになっていたが、かまわず進んだ。キャンプ場が近くなると自然道に再会したので、いくらか森の中を歩いた。坂道をずっと登ってお亀の湯に着いた。駐車場前の売店でヨモギ餅が売っており、店主と目が合ったため買い食いした。年末だが結構な車の数だった。館内に入るとたくさん家族連れがいた。帰省の子供や孫も連れ立っているようだった。家族はいいものだ。

早速風呂には入らず、併設の軽食やでビールとカツどんを頼んだ。

曽爾高原ビールというのがあるのだが、発券機をいくら見回してもそれ以外のビールはなかったため、そのビールを3つほど飲んだ。カツどんはとても上手かった。横にあった電源で少しバッテリーを充電した。満タンにはならなかった。目当ての風呂に入り、露天風呂にも行った。満月が近かった。閉館ぎりぎりまで暖をとった。

高原近くとあって其の夜は寒かった。マイナス4,5度だったような気がする。温泉のそばにある屋根つきのベンチに下敷きを置いて寝袋で寝た。すぐそばに自販もあった。明日の朝はその自販でコーヒーを買って飲もうと思った。

翌朝は雪になった。今冬初めて雪を見た。目当てのコーヒーは1万円札しか残っておらず、ほかに崩す場所もないため、買えなかった。小銭から使う癖が直らない。