旧伊勢本街道を歩く

3. 天理~榛原


2017年12月28日から翌年2日にかけて、伊勢本街道を大阪から伊勢まで歩いた記録。

朝、曇り、気温は3度くらい。iPhoneの予報によれば雨は降らないとのことだったので、公園のベンチの上で露天でシュラフに寝入った。朝方は尿意を催してなんどか起きた。近くにトイレのある場所を選んで正解だったけれども、この先大丈夫かなと心配になった。今回初めて連泊縦走にiPhoneをもちだしたはいいが、次回以降は別の機種に変えるだろう。あまりに低温に弱く、外気が0度前後になろうものならものの1時間も持たなかった。常にモバイルバッテリーにつないで延命していたがあまりに面倒。次はアンドロイド系に。

空は一面薄いころころとした雲に覆われていた。合間に空が見えていた。東の山の向うから太陽が昇ったときは日が差した。伊勢神宮を目指しているものとしては嬉しい光だった。昨日酒と弁当を買い込んだコンビニに戻ってゴミを返し、菓子パンを買って出発した。まだまだ家々の間を縫うように街道は続く。沿道の住人の朝は早いらしかった。道に出て掃除をする人、ゴミを出す人(お隣さんに年末年始のゴミの日を確認するおばさんとか)、とかく皆さん外に出る。「伊勢ですか」と声をかけてくる人もあった。まだ奈良なのに行き先が分かるとは流石だった。

年末年始ならではの光景もあった。街道沿いの菓子屋では朝っぱらから餅つきの機械がフル稼働していて、出来上がった鏡餅の玉が店先につまれてあった。鏡餅とかスーパーで出来合いのものしか買ったことがない。母の田舎の村では正月に町内で餅つきをしてそれを鏡餅として配っていた。新しい住宅地に住んできたわたしは近所に其の手のイベントはなし、近くにもちを作ってくれる個人経営の菓子屋もない。

まだ桜井までは距離があったので、昨日と同じように右手前方には金剛山と葛城山、右手後方を振り返ると生駒山が見えた。ここら一帯どこからでも見える名のある山々である。人里の風景は変わっても山の稜線はあまり変わるもので無し、昔の人も同じ山の光景を見たのだろうと思った。これらの山々の頂上には神社や寺がある。麓にもたくさんある。

街道ならではの光景はほかにもあった。たぶんならではだと思うが、街道イコール昔から人通りが多く町の中心でもあった地域で、よく目にしたのは個人の医院である。なんにでもマスのつく世界に慣れきっているので、とかく個人の範囲でできるビジネスでは需要に限界があるし価格競争的にも厳しいという偏見はなかなか直らない。其の点医業は自由市場ではないためもあるのだろうが、他の業種であれ完全に自由市場に属しているのは少ない。何らかの変数が必ずあってそれはマスではとても入り込めない独特の市場を形成しているような。変数というのは人と人だと思われる。金と金ではなく。

やがて桜井市の北端に入ると、家々の屋根の向うに大神神社の大鳥居が見えた。初めて見るのであまりのでかさに驚いた。近づいてみるともっとでかかった。

近くにある複数の神社に参ったものの、案の定小銭が尽きて、店を探したがどこも朝か年末かででしまっている。ようやく見つけた年寄りのたまり場になっているカフェでコーヒー一杯注文した。マスターにどこへいくのか聞かれて伊勢と答えたらゆで卵をご馳走してくれた。丁重に礼を申し上げて店を出た。

実は、伊勢本街道を歩いて旅することを計画した当初は、神社や寺を経由することなどは考えていなかった。ところが自然とそうなったのは、街道がこれらの神々をつないでいるからといえるかも知れない。これらは何もあてずっぽうに各地に鎮座しているわけではなかった。登山も含め日本を歩いて巡るのは、自然への崇敬であり、感謝であり畏怖でもある。それは埋もれた歴史との出会いでもあるかもしれない。古い道は八百万の神々をつないでいるわけである。

大神神社へは南側の縄鳥居から入った。まだ年末だったが参拝者が結構いた。初詣の賽銭用に拝殿前には白い布に覆われた箱が設置されてあり、千円払った。小銭でなくお札を出したのは枚岡神社、石上神宮についで3社目。いくら出すかはあくまでそのときの感じ方で決めていた。境内に入らせてもらうこと、通らせてもらうことをまず断り、継いで感謝の言葉を述べる。お願いはこの旅の安全に留めておいた。神頼みは好きではない。神様であれ気分は害するはずなので、とにかく失礼がないよう怒られないことが最優先である。なんだか拒絶的な気配を感じれば境内にさえ入らない。だがここは幸いそうではなかった。参拝の仕方も段々さまになってきたような気がした。拍手はまだペチペチいっていい音が鳴らない。

大神神社で同じようにザックを担いで歩いている人々を見たが、あれは山の辺の道を歩いている人々らしかった。案内板によれば奈良の本街道のさらに山側を南北に続く自然歩道であり、これもふもとの神社などを経由しているらしい。より自然派なら山の辺の道を歩く方が楽しそうだった。

大神神社付近から、この山の辺の道と伊勢本街道が一部被っているらしく、いくらか迷いながら歩を進めた。ところどころで引き返したりもした。大和川に差し掛かるころにはだんだんと雲って風も出てきた。ベンチにザックを置いてアンパンをかじった。大和川って結構長いんだなと思った。ずっと大阪の海まで続いている。

桜井市を東に折れるころから食料調達とトイレの難易度レベルが一つ上がった。計画的に入れては出さないとあとが怖い。ハイドレーションの水はまだ残っていた。中途のコンビニでビーフジャーキーを買った。もうじき昼だったので最低1時間はゆっくり休憩できる場所を探したものの、グーグルマップで探せる飲食店は遠く離れているかしまっているかのどちらかだった。交通量の多い国道の端を恐々と歩いていると、黒猫の人形が店じゅうに飾られている軽食屋が開いていたので入った。中に入ると中年の郵便配達が昼休憩の途中だった。カレーがなかったので焼きそばの大盛りを頼んだ。食べていると大きなバイクに乗ったこれも中年男性が遊びに来た。

黒猫のカフェを出てしばらく歩くとやがて長谷寺の門前町に入った。長谷寺は以前に何度も来たことがあるので、今回は上まで登らなかった。郵便局のある門前町の長い通りを途中山側に右折し、橋を渡り、入り口に社のある急坂をずっと登ると、峠付近に差し掛かったところで右奥に続く舗装されていない荒道が別れている。その先には長谷寺の一望スポットと言われているらしい高台があった。が木々が邪魔してそれほどの眺望とは思えなかった。ここも頂上付近に社があり、何の神様なのかさっぱり知らなかったけれども、とにかく足を踏み入れることを断り、感謝の念を述べた。風が強く、坂を上ったばかりだというのにもう寒かった。いくつか社はあったものの頂上のものだけ賽銭を入れた。流石に日本全国無数にある社すべてにお金をまいていては身が持たない。ここをきれいに整備してくれている地元の人への要は寄付である。

聞くところによると、伊勢本街道の保存会という団体があり、榛原に本拠を置いているという。ただホームページやその他、本街道沿いに見られる過去の活動の形跡を鑑みるに、最近の活動は下火のようだ。榛原に近づくと、赤い文字で「おいせまいり」と書かれた白い小さな札が街道沿いに散見されるようになる。ただどれもかすれており文字が読めない札も多い。この札はこの先の本街道にもチラホラ目にすることになったのだが、如何せん小さいのと札が取り付けられている場所が大体は道の分岐点ではないため、道標の役割はほとんど果たしてくれなかった。(道標なら分岐にないと話にならないですよね)。現状本街道の難点はとにかく道が分かりにくいことで、地域によっては非常に分かりやすく道案内をしてくれるのだが、ごく一部。しばらく歩くと古道か新道かの違いはある程度分かるようになるものの、限界はある。

榛原に着いてからしばらくは近鉄駅前のミスタードーナツで過ごした。寝床のめぼしはつけていたがトイレがあるかどうか分からなかったので、寝る時間の1,2時間前までは街中で粘るつもりだった。注文したコンソメスープをこぼしてしまい、店員に迷惑をかけた。暗くなってから川の近くにあるローソンでいろいろ買い足した。下調べしていたところによればこの先しばらくはコンビニやスーパーなどはない。国道沿いには飲食店があるようだが本街道をしばらくそれないと行けないし、しかもいまは年末年始でしまっているかもしれない。2,3日は補給無しでいけるようには計画していた、そのメインはカップラーメンと菓子パンだった。

ローソンを離れたころにはもう真っ暗で、榛原から先は電灯の数も極端に減った。橋を渡ると墨坂神社が暗闇の中にあった。(了)